春瀬 烈 1st INTERVIEW

春瀬 烈 1st INTERVIEW



2020年10月1日、ボカロPからソロアーティストに転生した春瀬烈。ボーカル、作詞作曲、イラスト、アニメーションなどのありとあらゆるクリエイティブを自身で手がけ、類い稀なる才能を放つ存在だ。

 「絵は幼稚園の頃から人より少し上手かっただけで、周りがすごい褒めてくれて。楽しくて自分だけにできるんじゃないかと思っていました。自分からちゃんと学んだこと自体はなく、気持ちでここまで来ました」

 2020年10月3日、ボカロP・ちいたなの「共依存」に、映像とギターで参加。その作品を見たボカロP・Misumiから声がかかり、2021年5月26日、Misumiの「アンダードッグ」の動画を担当した。今は、他者の作品に力を貸すこと以上に自分の音楽を突き詰めていきたいと春瀬。2021年2月19日に公開した「YOSORO」が春瀬烈としての最初の音を打ち鳴らしたアバンギャルドな楽曲。そのまま真っ直ぐに進め!との意味を持つ操舵号令がリズミカルに舞う。暗闇に染まった足元を照らすようなメッセージ性を内包しているのが、<いつかこの星の裏側へ行けますように>という歌詞。ピアノを習っていた姉の影響もあり、入園してからすぐにピアノを習い始めた春瀬。コンクールで賞を取るほどの実力を持ち、ピアノは中学生まで続けたという。


クラシックに囲まれて育った春瀬が、バンドに心惹かれるようになったのは、小学6年生のとき。中学生の時点で、iPhone音楽制作アプリ・GarageBandを使用し、黙々とひとりで曲を作るようになっていた。高校に進学すると、軽音楽部でバンドを組み、ベースを担当。ロックバンドのカバーから後に春瀬が制作したオリジナル曲を披露した。高校卒業前にバンドは解散。それ以降は、新たにバンドを組もうとしなかった。「当時組んでいたバンドが楽しすぎたから、楽しい経験をまた違うバンドで上塗りすることはできないだろうなと思って、「ひとりでやっていくか」ってなったときに、自分で歌う選択肢は0だったんです。どうしたものかと思っていたら、頭の片隅にあったボカロがよぎって、ボーカロイドを買ったのが始まりでした」

 実はそんな春瀬はニコニコ動画すら触れてこなかった。「ニコニコ動画、ボカロ特有の空気感とか言語を自分は持っていなくて、そういう壁みたいなものにすごい戸惑ったんですよね。でも、自分が作れるものを作るしかなくて。活動していくうちにすごい疲れてしまったっていうか」――そこで決心したのが、ボカロPからソロアーティストへと生まれ変わること。きっかけは予想外に消極的なものだった。

 自身の音楽の常識を変えた存在としてあげたのは、青森県在住の秋田ひろむを中心とするロックバンド・amazarashi。「歌詞が強くて、メッセージ性がとんでもなくて。歌に対しての自分の想いだったり、ある種の怒りだったりを伝える手段として成り立っている音楽っていうのが、すごい衝撃的で。伝達手段としての音楽があるなら自分も使ってみようと思えたんですよね。歌詞そのものに魅力を感じていなかったら、今、曲を作っていなかったと思います」

 声変わりしてから人より1オクターブぐらい低くなった自身の声は、端からボーカルに不向きだと自覚していたという。あえて、バンドでは楽器を担当し、ひとりになったときにも、ボカロを選んだ。「でも、今、最後の手段として自分で歌うことをとったのは、音楽をやる上での‟諦め”だったんです。全部を諦めて今の名義になりました」

 すべてを諦めた挙げ句の果てに新たな一歩を踏み出したのが、ソロアーティストとしての春瀬烈だった。現実を思わせる暗雲が漂う歌詞の中、願いに似た光が顔を出す。まるで本心はすべてを諦めきれていないことを訴えるかのように。

 「最近は、人と分かり合うことを無意識にいろいろな言葉に置き換えて書いているなと思っていて。昔から割と誰とでも仲良くなれるほうなんですけど、ちゃんと分かり合う、手をつなぐことに対しては、諦めがあるんです。中学生のときって明るいグループと明るくないグループが分かれる時期があるじゃないですか。自分ってどっちでもいれたんですね。ある日、明るいほうの人から、「烈ってどっちなのかわからないよね」って純粋な疑問として言われて。そのときにどっちとも仲がいいとか完全に分かり合うのは、無理なんだって気付いたんです。だから、せめて歌の中だけは、1番のAメロで俯いていても、ラストのサビではそこから一歩でも半歩でも動けるようなものを書きたいし、自分もそうありたいなと思っています」

 <何もいらない くだらないけれど 願いたい 分かり合えたら 全ていらないと>アートワークに絡み合う手が描かれたバラードナンバー「秕」は、まさに当時の経験を通して生まれた。表現の世界において成し得る輝きが存分に放たれている。春瀬の音楽が実現しているのは、‟ここ(現実)ではないどこか(非現実)”。行き場をなくした春瀬にとって音楽は、現実では叶えることのできなかった願いや希望を唯一描くことのできるエデンなのだ。


3カ月連続リリースの第1弾は、「風は凛として」。春の訪れを感じさせるポップなメロディーが流れゆく中で最後に残るのは、風に願いを託す切ない想い。「中学生のときの合唱コンクールで僕がピアノ伴奏をして、ある友達から休み時間に「何か弾いてくれ」って言われたんです。そのときに弾いたフレーズをすごい褒めてくれたのをいまだに覚えていて、<あの日お前が褒めてくれたピアノの音を覚えている>っていう歌詞を入れたんですよ」




昔の友人に向けて書いた「風は凛として」に次ぐ第2弾「月のろし」は、今の友人に向けて書いた曲。「自分の中では王道でポップなサウンドにしようと思ったのが風は凛として。対してひたすらひねくれるサウンドにしようと思ったのが月のろしでしたね」


リアルな友人へのメッセージが紡がれているとは到底想像しがたい2曲について、「やっぱり個人的なものでありすぎるほど、他の人から見たらどうでもいいとか想像できないものなので、どれだけ文章に余地を作れるかが僕の中では重要で。その部分で共感を得られたらいいなと思っています」と春瀬。

 話を聞けば聞くほどに、春瀬にとっての音楽はリアルを映し出しつつも、空想を映し出すための鏡として存在しているようだ。新しい風に導かれるようになってから、約1年半。春瀬の描く世界はすでに成熟しつつある。最後には、「歌詞だけで「春瀬烈だよね」って言われるようになれたら嬉しいです」と実現したいひとつの夢を残した春瀬。秘密基地のような作品が生まれていく航海がここから始まる。

Text by 小町 碧音